昭和41年11月10日 朝の御理解
昨夜私共の二番目の娘、愛子で御座いますが、今朝からこういうお夢を頂いたというて、お夢のお届けをするんです。もう誰か分からないけれども、幾人からでも帯を貰っておるお夢を頂いた。しかもその帯が緑の濃い緑の色をした、したその帯であった。で次にいうんです。もうここ二、三日どうしてか知らんけれども、もうだれかれがどうか言う事がもうこのイライラしたり、腹立たしかったりする。まっそういうお夢のお届けをしながらそういう、まっお届けをするんです。
その事を一つ私は今日はお話いたします。前提に聞いて頂いて。次には是はあの私今朝方から頂いた事なんですけれども、私はあのお声で頂いたんです。あのあれは薬の名かなんかでしょうかね、あのミクロゲンパスタかなんかて頂くんです。したらあのどうも私の感じでは、ミクロゲンパスターではなくてから、ミロクゲンパスターというふうに、まあそうなんだけれど、これは大体薬かなんかの宣伝の宣伝というか、その薬の名前だけども。私が心に響いてくるのは、ミロクゲンパスターとこう頂くんです。
ですからその事とこの事を、まあ思いそしてその事とこの事をから、今日のご理解を頂こうと思うのです。しかも私は私がこういう頂き方をすると言う事によって、いやこう頂いて池ばです、おかげが受けられるな、お徳が受けられるなぁと言う事に答えが出てるんです。ですからそこんとこをようと、ははあいまの私の娘が頂いたお夢のお知らせと、私が頂いておるその事をこういうふうに理解し。
こういうふうに分からして頂いて。それを行じていたら、おかげが受けられるんだな、お徳が受けられるんだなぁ、というふうに私は今朝から感じました。愛子が申しておりますように何か知らんけれど、まあ子供の事を言うちゃならんですけれども、おかしいですけれどもね、私どもの娘ではもう私に対する、私の気持ちを一番です。もうああして行こうと努力する子なんです。矢張りみんな七人なら七人の子供が、矢張りそうですけれども、それに努力するんですこの人は。
お父さんの心に添うていかんならん、お母さんお父さんの心が信心分からしてもらわんならん、とその事に一生懸命努力してくれるんです。そりゃまあ豊美たちも勝彦たちでも同じです。矢張りそうしてくれるんですけれどもね、もうそういうものを一辺パーっと、そのほんなことそんな事を思いよるとかと、ほんとにそう精進しておるのかと言う位に、それを又ひっくり返してします様な事を言ったりしたりするんですよね。他のは上から言うならば勝彦たちでも豊美たちでも。
これだけ一生懸命なら私の事を思うてくれたり、私の事を私の信心に分からせて頂こうとしながら、そんな事言うたりしたりしたら、一辺にひっくり返ってしまうじゃないかと言った様な事を、まっ平気でやるんです。性格ですね。その点あの愛子はそう言う所がないです。例えばならここ二、三日どうも何か、何かにつけて腹が立ったり、いらだってたまらんと、それを私は感じませんもん。
他の子供たちには、ははあこの頃ちょっと調子が狂うとるなと言う様な事を私が分かるです。と言う位にそのま心掛けてまあ、精進しておるといういう子がです、そんなお届けを致します。誰がかれと言う事はない、だれかれからその緑の色の濃い帯を貰うとこういう。皆さんもその事で大体分かりになると思うんですけれども、緑の色と言うのはここでは元気な心と、元気の元とそういうふうに頂きます。
いわゆる元気な心で信心せよと。ね、しっかり信心の帯をせよと、しっかり信心の帯をしとかなければならん。それには矢張り生き生きとした元気な心がいるのです。だれがかれが、どうも自分の心に日頃ん時にはそうでもなんでもないようなことでもまあ、腹の立つ様な事を人が言うたりそれを見たりすると、イライラしたり腹が立ったりするとこう。ね、そういう時に私共がその緑の帯をしっかり締めておいたら、ね、腹を立てんで済むだろう、又はイライラせんで済むだろう。
いわゆる腹を立てたりイライラしたりと言う事は、これはもう勿論おかげの受けられない心、和賀心が和らぎ喜ぶ心が、おかげを受ける心、お徳を受ける心であるならば、それの反対の心ですから、おかげは頂いておっても外れていき、お徳の受ける心とは言えんのでございます。ですから皆さんあのここん所をです、ここん所を今日私が皆さんに聞いてもらおうとこういうその所を分かって貰い、行じて皆さんが下さればです。
成程先生が言われる通りのおかげも頂くな、成程これ一つ持って行きゃ、お徳が受けられる筈だと言う事をです、分かって貰いそこん所を体験して貰い、ね、皆さんがおかげ頂きたい、おかげ頂きたいていう。成程おかげ頂けん筈だ、おかげは片っ端から自分が崩しちゃうんじゃもん。あれがあって言うた時もう心がが暗くなり、あれがああ言うたちゃ、もう心沸き立つ、腹が立つ。ね、
そこで例えばなら愛子に神様が教えておられる事は、さあこういう時こそ元気な心信心の帯をしっかりしておくのぞと言う事。ですからそれも実をいうたらまあ、いうなら神の心と神様の姿と見えなければならんのです。例えば久保山先生が私にの事を言いよんなさった。そりゃもう久保山先生じゃないんだと、ね、そりゃもう神様の姿なんだと、神様の声なんだ。そういう頂きかたがでけるときには、心の中に元気な心が、生き生きとし行じておるときなんだ。
そして次に私が今朝から頂いております、いわゆるミクロゲンパスターである。ミクロゲン、これそれを私はミロクゲンとこう感じた。私はよくは知りませんけれども、弥勒の世界というのがある、あら先生どういう意味ですか極楽の世界という意味ですか。ね、いわゆるお徳をお徳を受ける世界という意味なんですよ。ね、なら私共が難儀、難儀と言うてる間極楽はないでしょう。
言うなら地獄におるわけなんです。その地獄から極楽に、いわば入っていく試験なんだと、ここをパスしていかなければいけないのだと。いわばはあパスターてのは、ね、試験に合格する事パスしたとこういうでしょう。私はならこれは半呪文のようですけど、そういうふうに私は感じたんです。私共は本当におかげの世界に住み替えたいならば、ほんとに有り難い弥勒の世界に住み替えたいならば、ね、私どもは一つ一つ神様が試して下さる、鍛えて下さる、ね。
育てて下さる所のそのお育てに、私共が素直に付いて行かせて頂いて、教祖の神様も信心に実がいってくると、とこう仰る。段々おかげを頂きたいという切実な願いが、心の中に頂けて、本気で信心させて頂いておかげ頂こうという気になってこんと、ね、信心に実がいってくると、必ず神様のお試しがありますぞと言う事は、教祖の神様の御晩年の事は、もうお参りしてくるだれかれに仰った言葉だそうですね。
皆さん信心に実がいってくると、必ず神様がお試しがありますぞ、と言う事であった。ならその神様のお試しというのはどう言う事かと、難儀な世界にあるけれどもね、有り難い世界、いうなら極楽の世界、ミロクの世界に住み替えると言う事なんだね、そういうおかげ皆さんが頂きたいならばですね、そのたとえば難儀なら難儀という問題を、元気な心でしっかり信心の帯をして受けぬいていく以外にないでしょう。あれがああ言った、彼がこうしたというのじゃなくて、あれじゃないかれじゃない、ね、
それこそ神様のお指図を受けておるところの、いうなら試験官なんだ。そこの所を弥勒で合掌して、元気な心で受けぬかせて頂いて、見事にパスして始めて私は極楽の世界に住み替える事が出来る、おかげの世界に住む事が出来るんだとこう思うのですよ。ですから今日の御理解を皆さんが本当に、あの理解して下さり合点して下さって、本当に現在のいわば苦しいというか苦悩の世界からです。
ほんとに有り難い極楽の世界に住み替えるという、ほんとのおかげの世界、おかげを頂く、本当のおかげを頂かせて頂くためには、しっかり信心の帯をしなければでけんのであり、ね、しかもしっかり信心の帯をして、本気でならこれを頂こうぞという気になれば、必ず神様はそこにも、もういうならばへとへとする様なお試しを下さるような場合がある。からではなくてあるです。
教祖の神様でもあるですぞとはっきり仰ってあるように、だからそこん所をいつも頂くなら合格でける。そこん所を頂き抜く事が出来ずしてです、成程お徳の受けられる世界が、お徳の世界に住まわせて頂くと言う様なおかげは、頂けないと言う事が、皆さん分かるじゃないですか。ひとつここん所を、ほんとにまあ日々皆さんには聞いて貰っているわけですけれども、ここん所の所を私が今日頂いた事。
娘が夕べお届けをする事の二つの中から、まっそう言う様な、まっおかげを頂いて今日の御理解になったわけなんです。ですから本気でそのことに取り組ませて頂きゃ、ね、例えば火の中に飛びこまにゃならんとか、水の中に飛び込まんならんと言った様な厳しい事ではないのです極楽行きの、極楽の世界に住み替えると言う事は。日常生活の中にそう言う様なここぞと言う様な時に、心を乱さず、ね、
実意丁寧何事もすべてをですね、実意を持って大事にしていく生活ね、その事を合掌して受け抜いていく生活そういう事を、所がでけなれば、信心を頂いておる値打ちがない。信心を頂いてお徳を受けないというならば、もう信心頂いておる値打ちがない。ね、だからそう言う所に本当の値打ちというのもを分からして貰って、その値打ちのあるものを自分のものにして行く所の信心ね、そういう体制が必要なんですね、
どうぞ。